氷の王子は花の微笑みに弱い 《 序章 01

 博愛という言葉を、毎日のように聞かされていた。


 澄みきった広大な湖のすぐそばで城は湖面にその姿を映し、威風堂々とそびえ立つ。湖上の城というのがこのクーデルライト城の通称だ。
 城は四棟から成る。総じて優美だが、城の顔とも言うべき中央棟は特に、外壁や屋根に金銀の細かな装飾が施された絢爛豪華な造りである。
 クーデルライト国の第一王太子、サディアスはその華やかな中央棟で暮らしていた。彼は今年で十八歳になる。
 公務――城を訪れる賓客との対面――を終えたサディアスは表情を無にして中央棟の廊下を歩いていた。
 訪ねてきた賓客のだれとも、掘り下げた話はしない。当たり障りのない会話をして、終わりだ。
 王族には古≪いにしえ≫より博愛主義が根づいている。
 なににも執着してはいけない。あらゆること、ものに平等であれと、サディアスは幼少期から厳しく教育されてきた。
 贔屓≪ひいき≫や執着は憎悪と抗争を生む。
 そこでサディアスは何事に対しても無関心を装っている。興味のある話題にも気のないふりをする。
 慣れれば造作もないことだが、本音を言えないこの生活を苦に思う日もある。そんなときは、プライベート・ガーデンで密かに飼っている猫を相手に愚痴を言う。
 サディアスは他のだれも立ち入ることのない自身の専用庭で、生まれて間もない子猫を抱え上げた。
 この庭は背の高い木々と、それからいくつもの生垣に囲まれた閉鎖的な空間だ。城の者は皆ここへは立ち入ってはいけないと知っているから、安心して猫と戯れることができる。

「今日は、にゃんだか疲れたにゃー」

 こんな冗談を言える人間の相手がいないことが時々、物悲しくなる。
 カサッ、という葉の擦れる音がした。

「――っ、だれだ」

 サディアスは猫を抱えたまま音がしたほうを振り返る。
 木の茂みがガザガザと動いて、現れたのは少女だった。

「アリア・ロイドでございます」

 少女はかすかな笑みをたたえていた。

「きみは、パトリックの……」

 少女は「はい、妹です」と言いながらうなずく。

(いまの独り言……聞かれただろうか)

 サディアスはコホンと咳払いをしてから話しはじめる。

「なぜ、ここに?」
「お兄様を訪ねた帰りなのですが、迷ってしまって……。このお庭は、もしかして――」
「俺以外の者は立ち入ることができない」

 アリアは微笑したまま青ざめる。

「も、申し訳ございませんでした。失礼いたします。ここへ来たことや、殿下とお会いしたこと――いましがた見たことは、絶対にだれにも言いません」

 青い顔で引きつった笑みを浮かべ、アリアはたどたどしくレディのお辞儀をした。

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